こんにちは。FETILEGブログ管理人です。
今回はこのような基本的なことをフェチである筆者が考えなくても?と思ったのだが、何より基本を大切にする筆者が故に考察してみました。
パンスト発祥はアメリカだったらしい?!

パンティーストッキング──pantyhoseというアイテムは、
どうやら1940年代のアメリカで誕生したらしい。
当時ナイロン素材の開発により、ストッキングが一気に軽く、破れにくくなり、
女性たちの間で爆発的に広まったそうだ。
パンティーとストッキングが一体化することで、
より機能的で、しかもファッション性の高いアイテムとして愛用されるようになったという。
フェチ視点で言うなら、すでにこの時点で「布一枚越しの美」が生まれつつあったのかもしれない。
日本とアメリカ──パンスト文化の違い

しかし、同じパンストでも、その後の文化的進化は大きく違ったようだ。
アメリカでは、自由を重んじる文化背景のもと、
徐々に素足文化が広がったらしい。
一方で、日本では「肌を直接見せない」「整える」という意識が強く、
パンストは単なるファッションではなく、礼儀や社会性を象徴する存在へと進化していったようだ。
スカートスタイルで素足という選択肢が、いまだに少数派である理由は、
こうした文化的土壌にあるのだろう。
なぜアメリカでは素足でもOKになったのか?

90年代に入ると、アメリカでは女性の自立やカジュアル志向が一気に進んだという。
「パンストを履かない=自由な女性、自立した女性」(しかし、脚毛は頂けないものですなぁ〜!)
そんなイメージがメディアや広告にも登場し、
働く女性たちが素足でパンプスを履くスタイルが浸透し始めたらしい。
都市部では、素足こそが“かっこいい”“知的だ”とされる風潮もあったそうだ。
もちろん今でも、シーンによってはストッキング着用が推奨される場もあるようだが、
基本的には個人の判断に委ねられているらしい。
日本におけるパンスト=礼儀という考え方

対して日本では、パンスト文化は今も根強い。
フォーマルな場面(入社式、冠婚葬祭、ビジネス商談など)では、
「パンストを履く=常識」という空気感が色濃く残っている。
素足でスーツ姿、というのは、いまだに奇異な目で見られることが多い。
肌を隠すことは「礼儀」、
整えられた脚線美は「社会性」として評価される。
この独特の文化が、逆にフェチ心を育んできたとも言えるかもしれない。
アメリカにもフェチ文化はある──素足派?ナイロン派?

とはいえ、アメリカにももちろんフェチ文化は存在する。
素足フェチ、サンダルフェチといった自由な系統もあれば、
ナイロンフェチ、クラシックストッキングフェチと呼ばれる、
「伝統的なナイロンの音や触感に惹かれる層」も一定数存在すると聞く。
ナイロン越しの擦れ音、脚の曲線に沿った布地、
布一枚挟むことで生まれる距離感のフェティッシュさ。
国は違えど、人が惹かれる本質は案外似ているのかもしれない。
まとめ──自由も礼儀も、フェチ心に刺さるそれぞれの世界

パンストという存在は、
国によって「意味」がまったく異なる道をたどったようだ。
アメリカでは自由と自己表現の象徴として。
日本では礼儀と美意識の象徴として。
しかし、どちらにせよ──
布一枚越しに宿る色気は、世界共通のものなのかもしれない。
自由に生きる脚も、礼儀を重んじる脚も。
フェチ心には、どちらもたまらなく魅力的に映るものだ。
💬 最後に
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